DCMについて

2016年6月7日(火)・8日(水)・9日(木)会場:ANAクラウンプラザホテルグランコート名古屋

2016年6月7日(火)から9日(木)までの3日間に渡って、日本で初めて国際DCM実施グループ会議(DCM International Implementation Group Meeting、以下国際会議)が開催されます。それに合わせ、数回にわたって国際会議の始まった経緯、歴史、具体的な内容、日本での準備状況、実際の会議の雰囲気や、公式日程中に行われる各種イベント(前夜祭、施設訪問、公式夕食会など)についてコラムでお伝えします。

国際会議 連載コラムDCM ストラテジックリード 日本 水野 裕

第六回 国境を超えた仲間たち

 今回が、コラムの最終回です。最後に、各国の代表(ストラテジックリード)との関係についてお話をしてみたいと思います。私が、加入したのは、2003年からで、その前年にやっとキットウッド教授亡き後の混乱期を乗り越え、各国の代表を決め、それらの人々が毎年集まり、パーソン・センタード・ケアとDCMを進めていく、というシステムができたばかりの頃でした。当時は、スペインのElena, Josep、デンマークのEva, Claus,ドイツのChristian、アメリカのRoseann(その後、残念ながら亡くなりました)、オーストラリアのVirginiaがメンバーであり、議長国からは、Dawn Brooker, Paul Edwards, Claire Surrが参加していました。新しいメンバーが入ったり、残念ながら離れていったりした人もいますが半数くらいは、過去10年ほど変わっていません。
 たとえ国が違い、意思疎通が十分できなくても、各国のリードたちとは、毎年5日間ほど朝から夜まで、一緒に過ごしています。皆さんはわかりませんが、私個人では、小学校から考えてみても、毎年数日間を一緒に過ごす友人は他にいません。ですので、私たち代表は、ブラッドフォード大との契約関係にある代表同士と言う関係は超えて、仲間であり、友人です。ですので、誰かの夫が入院したといえば、心配し、私は孫が生まれたのよ、というと皆で喜び合います。私の母が倒れて、初めて国際会議を直前に欠席した2010年のアムステルダムの会議の時には、皆からメールが届いたり、会議の後全員から心のこもったメッセージカードを受け取ったりしました。このような関係は一朝一夕に生まれるものではなく、毎回、出席するたびに、下手な英語ながらも意見を言い、発信していくことで、「あの人はこんな風に考えるんだ」などとお互いを分かり合って築いてきたものです。
 今回、会議の最終日にスカイプでブラッドフォード大学の担当者に討議内容を報告した際、私がつい、議事にないことに触れました。『今日、ここにいない人たちはどうなっているのだろう。もし、ブラッドフォード大学で、情報を持っているのなら、教えてほしい。私たちは契約のためだけにここにきているのではなく、友人、仲間としてパーソン・センタード・ケアについて話をするために集まっている。もし、DCMを推進していくうえで、困難がある国があるのなら、教えてほしい。具体的に助けることはできないかもしれないが、「大丈夫か?」と声をかけることはできるだろう。また、自ら、DCMから離れることを決意した人がいるのなら、「今までありがとう」とさよならのあいさつができるはずだ』と話しました。
 それをきっかけに、渦のように皆の想いが語られ、皆、私と同じ想いであることが分かりました。世界中で、身体抑制、労働環境、未だに見受けられる悪性の社会心理の例など、どこでも同じような問題が起き、仲間たちはそれぞれ悩みながら、何とかそのようなオールドカルチャーを廃絶できないかと思っているのです。いろいろな事情があって、DCMを離れたとしても、パーソン・センタード・ケアを実践し、世界に広めようという点においては今までと何の変りもなく、私たちの仲間であること、を語り合いました。
 最後に私から、過去に参加していて、今は事情があって参加できていない国の仲間にメールをすることになりました。まだ、検討中ですが、私たち仲間は、DCM国際会議だけではなく、その前後の日などに会い、パーソン・センタード・ケアを広めるための活動をしていこう、ということになりそうです。あえてここで、事情があって、来られなかったか、また、DCM国際会議のメンバーからはずれたか、自分で離れたかもしれない仲間の名前を書きます。Patricia(ポルトガル), Silvia, Samantha(イタリア), Bernie, Virginia(オーストラリア), Hilde(ベルギー), Christian(ドイツ), Eva(デンマーク)です。
 来年の開催場所は英国のブラッドフォード大学の可能性が高いと思いますが、まだ具体的な日程は決まっていません。皆さん、これからもぜひ日本から発信するような試み、プロジェクト等ありましたら、お知らせください。

 

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第五回 国際会議を終えて

DCMの全体像(発展的評価)

 やっと、国際会議の全日程が終了しました。2003年以来、ほぼ全出席の私ですが、今回ほど、疲れた会議もありませんでした。ただ、今回ほど、感動した会議も過去に経験したことはありませんでした。それは最終日の木曜日におきました。それについては、なかなか説明が難しいのですが、長くなるので、次回(最終回)に話します。
 今回の国際会議を日本ですることを決定したちょうど1年前から、大府センターの事務部、研修部の中村さんと毎月会議をし、近くなってからは、毎週のように準備を重ねてきました。しかし、十分すぎるほどの準備体制を敷いていたのですが、直前に、議長である英国のMurna教授が、体調不良で来られなくなる。それがなんと開催の10日前でした。そのため、急きょ、その代わりの方とスカイプで打ち合わせをし、議案を確認するという慌ただしさでした。代わりのLindsey Collinsさんも、全日程いることはかなわず、6月7日(火)の会議終了後に、関西国際空港から帰国したため、私が6月9日(木)の議長を務めました。ノルウェーのAnne Marieさんのサポートを受け、何とかやり切ったというのが実感です。


DCMの全体像(発展的評価) さて、今回のコラムでは、ざっと今回のイベントなどを振り返ってみましょう。
 6月6日(月)は、夕方に恒例の歓迎夕食会を金山駅近くのレストランで行いました。日本からは、JPDネットワーク代表世話人の内田さん、副代表の笠原さん、監事の小倉さん、和里(にこり)からは、吉川さん、岩岡さん、こうほうえんからは、永田さん、中嶋さん、小谷さん、せんねん村からは、蜂谷さん、高橋さんが参加されました。そしてなんと熊本から、松永さんにも参加していただきました。英語でみなさん緊張されたかと思いますが、通訳の中川さん、岡崎さんの助けも借りて、なんとかコミュニケーションが取れたかと思います。
 その日の夕食会の前に、非公式でしたが、週末から来日しているアメリカ、オランダ、シンガポール、スイスの代表たちが、いまいせ心療センターを訪問してくれました。ワーキングデイは、世界でも珍しく、「革新的だね」と驚かれていました。病棟では、13年前に身体拘束から脱却した歴史をお話ししたところ、当時の主任(現看護部長)に「すばらしい仕事をしましたね」と声をかけていただきました。


DCMの全体像(発展的評価) 6月7日(火)からが本番の国際会議でした。ブラッドフォード大学の現状や今後の方針などをMurna教授に代わって、Lindsey Collinsさんが説明をし、午後には、日本でのマッパー支援、ネットワークについて、村田さん、内田さんに説明いただき、DCMについての研究の現状を鈴木さんにお話しいただきました。内容は当然のこと、スライドにおばあさん、おじいさんのイラストがあることがとても興味深かったようで、ぜひほしいとのことでした。夜には、公式夕食会としてホテルのレストランで会食が催されました。仁至会の祖父江逸郎理事長は、ご自身で流ちょうな英語でスピーチをされ、おそらく10分以上、日本における認知症の歴史、現在の高齢者を取り巻く問題等についてお話をされました。ご自身があと5年で百寿者(100歳のこと)になると言われると皆驚き、歓声を上げ、拍手喝さいでした。


DCMの全体像(発展的評価) 6月8日(水)は、全員で朝から、名鉄電車にのって西尾市にある「せんねん村」にお邪魔しました。天気も良く、本当によい訪問でした。蜂谷さんが管理者を務めているグループホームや、デイサービス、最後には特別養護老人ホームの「せんねん村矢曽根」に行きました。とてもすばらしく、「海外の方からは、こんなすばらしいところは、相当高額な費用を支払うことができる一部の人たちだけが利用する施設か?」と質問があり、担当者から「通常の介護保険利用者ならだれでも利用できる」という返事にびっくりしていました。阪部さんが、通訳顔負けの流ちょうな英語で、法人がいかにDCMにかかわってきたかというプレゼンを最後にしていただきました。

 


DCMの全体像(発展的評価) 6月9日(木)は、最終日の会議でした。なんと、私が座長を務め、DCMを取り巻くいくつかの課題についてグループに分かれ、議論を深めました。Murna教授と私で詰めた課題は、DCMコースでトレーナーが抱える困難、コース終了後、マッパーが抱える困難、サポートの在り方、コースをいかに広く知ってもらうかの4点でした。どの国もほとんど同じ課題を感じており、議論が伯仲しました。14時半からは、スカイプで火曜日に帰国したLindsey Collinsさんにどのような議論があったかを副座長であるノルウェーのAnne Marieさんから報告してもらいました。そのあと、私がつい日ごろ思っていることを話したところ、みんなも気持ちが同じだとわかり、私たちの今後の方針を決めるような話し合いが行われました。これは長くなってしまったので、次回にお話しします。

 

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第四回 明日から始まります

DCMの全体像(発展的評価)

 明日、6月7日(火)から9日(木)までの3日間に渡って、国際DCM実施グループ会議(DCM International Implementation Group Meeting、以下国際会議)が、名古屋市金山のANAクラウンプラザホテルで開催されます。
 今回は、病気で来日が不可能になってしまった、デンマーク、出張の調整がつかなかったベルギー、ドイツ、イタリアを除く、イギリス、スペイン、アメリカ、ノルウェー、オランダ、シンガポール、スイス、香港の代表が、それぞれ1ないし2名参加します。先週末に来日した一部代表を除き、ほとんどの国々は、今日の朝セントレアに着き、慣れない日本で、地図を片手に、名鉄電車に乗り、ホテルにチェックインするはずです。
 会議は明日からですが、毎回、世界各地から飛行機を乗り継ぎ、遠方ですと、20時間以上もかけてホテルに着いた代表は疲れているのですが、その夕方に1年ぶりの再会を祝して、歓迎会を開きます。これは、ヨーロッパ、アメリカなどへの移動では、午後から夕方にかけて到着する便が多いので、各自ホテルに移動し、チェックインをして、シャワーを浴びるのもそこそこに、三々五々、会場に集まります。そこでは、ちょっとした軽食を食べたり、ワインやビールを片手に、「やーやぁ、久しぶり。元気だった?」(当然英語ですが)とハグ(未だに私は、慣れずに自然にできません)しあったりして、1年間の無事と再会を喜び合います。ヨーロッパからの名古屋着の便は、午前中なので多少休憩が取れると思いますが、私が例年行く、日本からヨーロッパ、アメリカへの便は多くは夕方に着くので、そこから地下鉄、列車を乗り継ぎ、ホテルにたどり着く時には、ほとんど歓迎会が始まっている状態です。それでも、ちょっと汗を流してすぐ会いに行きます。私は、この会議の他に海外出張に行くことはなく、彼らに合うときが唯一英語で話す機会ですので、やはり、緊張はしますが、1年ぶりに会う友人たちとの再会はうれしいものです。

DCMの全体像(発展的評価)

 今晩は、日本各地のマッパーの方たちが集まっていただく予定です。ぜひ、ざっくばらんな会話を通して、日本の文化を感じて欲しいと思っています。
 例年、国際会議を3日間行い、最終日に施設訪問や現地でのシンポジウムなどに参加するのですが、今回は、議長(英国、ブラッドフォード大)の都合で、会議2日間、施設訪問1日の合計3日間の予定となっています。
 写真は、2006年にクリーブランド(アメリカ)で開かれた国際会議の時に私が撮影したものです。その時は、ホテルの大きな部屋に、真っ白のテーブルクロスが掛けられたテーブルがコの字に並べられ、総勢30名くらいはいたでしょうか、各自の席には、「Canada」「 United States」・・などとまるでテレビでみる各国首脳の会議のように札が立てられており、「Japan」の文字を見つけたときには足がすくんだものです。今回も、ホテルの会議室ですので、そのような雰囲気になるかと思います。

 

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第三回 国際会議の内容

DCMの全体像(発展的評価)

 パーソン・センタード・ケアとDCMの研修を行うには、ブラッドフォード大学が適切と判断した組織(ストラテジックパートナー)と契約を結び(日本は、認知症介護研究・研修大府センター)、その研修やそれに基づく研究をリードする代表者(ストラテジックリード)が、その国の代表として、この会議のメンバーとなっています。各国のメンバーは、職位が高い人が、形式的に務めることはなく、実際の事業の運営、資金調達や経営、研究に関わり、その責任を負う実務者が選ばれることになっています。
 例年、数ヶ月前に年次報告書の提出を求められ、それをもとに、ブラッドフォード大の議長が、議案を検討し、2週間ほど前に私たちメンバーに知らせてきます。年次報告書には、その国の認知症施策にどのようにパーソン・センタード・ケアが反映されているか、または、いないか、DCMを使用した研究は過去1年間にどれだけあったか、また、行政、本人、家族等へのDCMを用いたアプローチは何かしているか、など多くの情報が求められます。当然、実施した研修会、研修参加人数なども報告対象です。マッパーの皆さんに毎年私がメーリングリストで求めている情報はここに書かれることになります。なお、JPDネットワークの地域での交流会も報告しています。
 国際会議は、多くの場合、3日間の会議日程ですが、いわゆる形式的な会議とは違い、完全なビジネスミーティングです。以前は、参加国が少なかったこともあり、30分程度各国の状況を発表する時間がありましたが、10カ国ともなれば、1日で終わりませんので、それは報告書で済ませ、最近は、トピックスごとのワークショップ形式で進められています。最近の例では、国、県、都市などとの協力をテーマとしたワークショップで、熊本県での行政とタイアップしたマッパー養成の動きを発表したり、様々な環境におけるDCM活動についてのワークショップで、浜松市の聖隷三方が原病院の実践について報告をしたりしました。また、資金調達やいかに経営をしていくか、などの切実な議論も当然なされます。
 現在の参加国は、イギリス、デンマーク、ドイツ、スペイン、アメリカ、ノルウェー、オランダ、シンガポール、スイス、ベルギー、香港、イタリア、そして日本です(2016年4月現在)。いったん、グループの一員に加盟しても、その国のリーダーのリーダーシップが発揮されずに、事業が滞ったり、経営面で行き詰まったりして、事業が継続できない国もあり、以前は参加していても、近年は参加していないか、できない状況になった国(オーストラリア、ポルトガル、ルクセンブルク、韓国など)や、加盟を望んでも、その国でリーダーシップを発揮し、事業を維持、発展するための基盤が脆弱であるという判断がされ、加盟が見送られる場合(南アフリカ)もあります。
 国際会議に出席することは、ストラテジックパートナーや同リードに求められる義務ですが、逆に考えると出席する権利を持っていることをも意味します。というのは、パーソン・センタード・ケアの解釈をめぐっての提案(古くはブルッカー氏によるVIPS)に対して、意見を言うこともできますし、DCM法や研修会の資料やテキストの修正案を出すこともできます。要するに、国際会議では、全ての国々が意見を公平に言うことが保障され、テキストや運営方法に影響を与えることができるのです。今回、アジアで国際会議が行われるのも、2007年前後くらいから、私が常に、国際会議の意味は、ただ会議をするだけではなく、様々な国で行って、そこで主要な官僚、教授等に「パーソン・センタード・ケアとDCM」が国際的な活動であることを認識してもらい、それらによって、特にこれから導入を図ろうとしている新規の国を支援すべきだ、と言い続け、2011年頃から英国だけではなく、アジア、ヨーロッパなどの各地域で行う方針が採用されたからです。

 

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第二回 キットウッド急逝から、国際会議が始まるまで

DCMの全体像(発展的評価)

 第1回では、キットウッドが、パーソン・センタード・ケアの理念を発展されるまでの経緯とDCM(dementia care mapping)法の開発の経緯、さらにその関係についてお話しました。前回お話ししたように、彼が開発した「パーソン・センタード・ケアとDCM法」コースが、ドイツ、アメリカ等で開催され、関心を呼びつつあった1998年に彼は急逝してしまいました。英国以外にも研修が拡大し、パーソン・センタード・ケアを正しく学び、それを実践に移すDCM法が受け入れ始めた、まさにその時に襲った悲報でした。司令塔を失ったため、ブラッドフォード大学は一時この事業を中止したようです。その後、スペイン、デンマークなどに点在していたこの研修を受けた海外の人々が、何と国を超えて何回か会議を持ち、ブラッドフォード大に事業再開に向けて地道に働きかけを行ったと聞いています。2000年にシンクタンクと呼ばれる組織が発足し、2001年に、すべての指揮をとるStrategic lead(ストラテジックリード)に着任したのが、ドーン・ブルッカー氏です。何と最初は、パートタイムだったと聞いていますから、大学側としては、まだ継続するかどうかも未知数だったことが伺えます。そして、様々な困難を乗り越えて、2002年に第1回DCM実施グループ会議(DCM International Implementation Group Meeting、以下国際会議)がバロセロナ(スペイン)で開催されました。この時に決まられた仕組みが今も続いています。 即ち、「パーソン・センタード・ケアとDCM法」を導入しようとする国は、strategic partnerと呼ばれるその国の中で認知症ケアにおいて多大な影響をもつような安定的な組織を持っている必要があり、そことブラッドフォード大学とが契約を結び、その国でパーソン・センタード・ケアとDCM法が正しく普及をするための努力をすることが、明記されています。日本での、strategic partner(ストラテジックパートナー、戦略的パートナー)は、認知症介護研究・研修大府センターであり、ブラッドフォード大との契約関係が続く限り、他がそれを担うことはありません。そして、各国は、Strategic lead(ストラテジックリード)と呼ばれるリーダーを1人置き、その実行の責任を負っています。これは直訳すると戦略的リーダーとなりますが、その国で広く、安定的に普及するための経営、広報、研究、研修などすべてを戦略的に考慮し、自らリードすることが求められています。日本の場合は、Strategic lead Japanと呼ばれ、2003年以来、私が務めています。日本でのパーソン・センタード・ケアとDCM法研修会を開催してくるにあたって、実際は、多難な時期がありました。もう、これで終わりかもしれない、と思った時期もありましたが、その時でさえ、私は、もしもこの難局を乗り切れたら、2,3年後には、このような事柄が必要になるはずだ、というあらゆる可能性を考え、準備をしてきました。それこそが、「戦略的リーダー」の仕事だからです。

DCMの全体像(発展的評価)

 偶然にも、私が、英国ブラッドフォード大学で行われた基礎コースに、日比野(現:住垣)千恵子さん、高橋誠一さんと共に参加し、現在研修の最終日に行われている筆記試験と同様の試験に見事合格し(英語ですよ)、基礎マッパーとなったのは、第一回の国際会議が開かれた年の11月のことでした。従って、「パーソン・センタード・ケアとDCM法」研修会が、つらい時代を経て再出発を果たした年と、私がDCMにかかわり始めたのは同じ年だったということになります。
 私が始めて国際会議のメンバーとして参加したのは、翌年2003年にパース(オーストラリア)で開催された第2回国際会議からです。その時の出席国は、オーストラリア、デンマーク、ドイツ、英国と日本の5カ国だけであり小さな、会議室で行われ、テーブルを二つ並べただけというアットホームな感じでした。しかし、今や、10数カ国が加盟し、時には25名ほどが参加される大きな会議となっています。次回は、国際会議ではどんな内容が議論され、どのように運営されているかをお話ししましょう。

 

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第一回 歴史的経緯

 今年、2016年6月7日(火)から9日(木)までの3日間に渡って、日本で初めて、国際DCM実施グループ会議(DCM International Implementation Group Meeting、以下国際会議)が開催されます。それに合わせ、今回を含め数回にわたって、国際会議の始まった経緯、歴史、具体的な内容、日本での準備状況、実際の会議の雰囲気や、公式日程中に行われる各種イベント(前夜祭、施設訪問、公式夕食会など)について、お伝えします。まず、簡単にPerson-Centred Care(パーソン・センタード・ケア)とDCM(dementia care mapping)法との関係についてご説明しましょう。

 トム・キットウッド氏(1937-1998)が、パーソン・センタード・ケアに関する論文を多くの専門誌に発表していた時期は、大体1985年~1997年頃にかけてです。これらの時期に、当時は、認知症の人たちの言動や行動は、脳の変性や器質的変化に起因する「症状」と理解され、それらは、認知症のない私たちによって管理されるべき、という考えが主流の中で、キットウッドは、認知症を抱えて生きる人々は認知障害と言うハンディのために、うまく表現できないだけで、内面で感じている心理的ニーズは変わらず存在すること、だから、それを何らかの形で発しているサインとしてくみ取り、それを満たすことによって、どんな重くなっても、「よい状態を経験すること」は可能であり、それを目指すべきであるという革新的な考えを理論付けました。

 一方、当時、同僚であったブレディン氏と共にキットウッド氏が、認知症ケアの評価事業の委託をうけ、DCMの開発に着手したのが、1985年のこととされますので、年代的に考えますと、パーソン・センタード・ケアの考えをまとめ、理論付けし、深めていた時期とDCM法を開発し、研修コースとしてプログラム開発をしていた時期はほぼ一致することがわかります。それは、その研修コースの名称が、「パーソン・センタード・ケアとDCM法」コースと名づけられていることからも伺えます。その後、1997年に有名なDementia Reconsidered(邦訳:「認知症再考」)が出版され、その後、世界中で翻訳され、パーソン・センタード・ケアの理論が確実なものになったことは皆さんもご存知でしょう。しかし、 パーソン・センタード・ケアの理論と、それを実践するための研修コースである「パーソン・センタード・ケアとDCM法」コースが、ドイツ、アメリカ等で開催されつつあった1998年に彼は急逝してしまいました。彼の所属していたブラッドフォード大学とその研修コースの実施に関する事業は混乱し、一時は、消滅の危機に陥ったとその当時のメンバーに聞いています。

 

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